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2010年6月

2010年6月30日 (水)

6月のこと、、6月の終わり

この梅雨空がそのうち、夏の明るい空に変わっていくとは、なかなか思えない。
それでも、もう、6月が終わるんだ。

買い物に行っても、運転中でも、食事中でも、突然押し寄せてくる。

あれから新しい写真が増えないことが悲しい。
月見のビスケットが減らないことが悲しい。

いつまでも、続く。
これらが、いつの日か優しい色の思い出に変わるのか?

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月見が来た日のことを思い出した。
これは月見が来た日の記念すべき初めての散歩。
昔の写真はフィルムなのでとても数が少ない。
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成犬になってからでもすぐなじむのかどうか、、と聞かれることもあったけど、
私達はなぜかそんな心配を露ほどもしていなかった。

部屋に入ってきた月見は、ゆっくりと近寄ってきて、
「どうそ、よろしく」と言わんばかりに耳を倒して頭を私の胸に押し付けた。
それから、なんのとまどいも無く、月見は私達の子供になった。

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6歳半。立派な耳が立っているけど、どれも日生の姉妹に似ている気がする

犬は、かわいい子供としてやってきて、
いろんなところに連れて行って、いろんなことにチャレンジして楽しい時間を共有し、
いつしかパートナーとして寄り添うようになっていく。

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6歳。若くて美しい。この頃になると人の言うことはほとんど理解していたように思える。

あれから10年以上。
犬だけでなく10年も経つと人間側にも色々な出来事が起きる。
でも、つらい時はいつも側に寄り添う月見がいた。

そう、あれこれ想いがよぎって、夜、眠れなくなってしまった時、
私はいつも寝ている月見を起こした。

翌日も仕事がある2号は、そうそう夜中に起こすわけにはいかない。
月見は文句を言うわけでもなく、起き出していつも私に付き合ってくれた。
オヤツを食べたり、テレビを見たり、時には夜中の散歩にも。

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この子は、許容量の大きな子だった。
泣いているからといって「どうしたの?」とか顔を舐めてくれたりとかはしないけど、
恐れるでもなく、気にするでもなく、でも、決して離れることなくじっと側にすわっている。

なでながら横になって月見の呼吸を聞いていると、なぜか5分ぐらいで眠くなった。

日生は、まだまだそうはいかない。
夜中寂しいからと起こしても、自分が眠くなるとさっさとケージに入って寝てしまう。
泣いていると怖がって近寄ってきてもくれない。
もちろん日生の明るい性格は大好きだけど、まだまだ子供なのだ。

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10歳。まだまだ走れた。

私が月見を失う時のことを意識し出したのは、10歳を過ぎたあたりからだ。
すこしずつ、老いが目に見えるようになる。
はじめはかすかに、段々はっきりと。ゆっくりから加速度的に。
月見がいなくなる事がとても怖かった。

あの日も、「私をおいて行かんといて」、「もどってきて」とか言ったと思う。
「まだ、あかんねん。来年の桜まで、って言ったやんか」

お別れの日も「今までありがとう」とは言えずにいた。
いつの間にこんなに弱くなってしまったのか。
ごめんね、月見。

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12歳。

普通に家族として飼われていれば、犬は人と違って多くを望みすぎはしないものだ。
与えられたもので満足するすべを知っている。
今にして思えば、あれもしてあげたらよかったとか、いろいろ思うけど、
月見はそれなりに幸せに生きたと思う。
少なくとも、私達があの子を愛していたことは知っていてくれてたと思う。

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8歳。

ずっと寄り添っていてくれた黒い毛の私の守護神。
私を守る役目を終えて旅立ったと言うのか?

はじめは全然知らなかったが、 偶然にも月見は2号と誕生日が同じ日だった。
「やっぱりこの子はウチにくる運命やったんや」と2号は言ってる。
運命というものがあるなら、日生がウチに来たのもそうなのか。
ならば、今度は白いマダラの守護神なんかな(笑)

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私の好きな写真。


まだまだ、寂しくてつらいけど、
少し時間がたった今なら言える気がする。

私の方こそ、あなたと暮らせて幸せだった。
私といてくれてありがとう。



*** 最後に、 

長い、長い、しめっぽいお話にお付き合いくださってありがとうございました。
私達にとって、忘れられないつらい6月になりましたが、
たくさんの方のお気持ちありがたかったです。
そして、すみませんが、また時々、月見の思い出話、聞いてくださいね。

2010年6月29日 (火)

6月のこと、、姉妹

ひなタンは元気にしているかなぁ。。。って心配してくださってる方もいるかと思う。

日生はあれから、、、、挙動不審である。
2頭飼いで1頭が亡くなったとき、もう一方もしばらくおかしくなるよ、、とは聞いていたが、なるほど、おかしい。

散歩はいつもどおりに行き、雨の合間をぬってドッグランへもつれて行き、
ご飯もほぼいつもどおり食べて、健康上問題はなさそうだが、、、、
喪失感は日生にもあるのだ。

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あの日の2日前ぐらいから不安そうにはしていた。

いつもと違う月見の様子、いつもと違う私の様子が日生を不安にしていた。

そして月見が亡くなった日からは、
3mぐらい離れた場所から、じーっと、絶え間なく私の事を観察しているものの、
まったく私に近寄ってこなくなった。手からオヤツも食べない。
2号に対してはいつもどおり、すりよって行くのに。。。
1週間以上続いたと思う。

たくさんの人がお家にやってきた。
皆、月見姉ちゃんに何かを言ってなでては泣いていた。
そして、姉ちゃんは車に乗ってどこかに行ってしまった。

あれからずっと帰ってこない。
しばらくしたら帰ってくるのかな。
もしかしたら、もう帰ってこないのかな。

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日生が死を理解しているのかはわからない。
はじめはいつものように寝ていると思っていたのだろうけど、
月見を送り出すまでの間、何度も口元をチェックし、脚や身体のニオイを嗅ぎ、
隣で眠り、最後には何かが違うとはわかっていたように思う。

月見はいなくなったのだと理解していて必死に探し回ったりはない。

唯一、外出から戻った時だけ、ドアを開けて家に入ると一目散、
月見の座っていた場所をチェックしに行く。
確かに日生がウチに来てから、家に戻った時に月見がいないという事はなかった。

そして、月見の姿が無いことがわかって、傍目にもわかるほどしょんぼりする。

うまく言えないのだけれど、「待っている」素振りは見せないけど、
日生は、自分が帰ったときに月見が家にいるような気がしているみたいなのだ。
そんな日生を見るのはとてもつらい。

それ以外にもいろいろと、今は不安で不安で仕方がないらしい。

お庭トイレはあれから一度もしていない。
「お庭に行くと悪いことが起きる」

車に乗ってもはしゃぎもせず目的地がわかるまでじっとしている。
「姉ちゃんは車に乗ってどこかに行ってしまった」

あれほど、スキを狙ってもぐりこんでいた月見のベッドにも絶対近づかない。
床に並べてある遺骨やお花や、お供えのオヤツにも絶対近づかない。

散歩では、雨で日ごとに消えていく月見のマーキングを補うように、
何度も何度もマーキングしている。

不安なのだ。

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パピィの頃からすっと側にいた月見。
こちらの期待をとは裏腹に、母親的な愛情で日生に接することは無かったけれど、
いつも毅然としていた月見。もちろん、日生を家族の一員と認めていた。
日生にとってその存在はとても大きかったのだと改めて思う。

犬のリーダーである月見を失った日生。
もうひとりのリーダーであるべき私の様子もおかしいのだから挙動不審にもなるだろう。

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犬と飼い主はお互いを写す鏡。
日生は私が発している負のパワーを恐れて近づいてこない。
「無理にいつもどおりにしようと取り繕っても、見透かされるよ」と友人が言ってたけど、
本当にその通りで、
「大丈夫、、、」とか言ってなでようとしたら、大急ぎで逃げていく(笑)
何かできることをさせて、「よくできたね~」とか無理に褒めようとしても、
全くもって喜びもしない。

まだ気力がついていかないけど、少し難しいことをさせて出来たときに褒めると、やっと、うれしそうにする。
こちらが思わず本気で褒めているからだと思うが、
その違いが何故わかるのかが不思議だ。
いずれにしても、UDの練習を遊びレベルからでも始めるのは、日生と私にとって良いリハビリになるだろうと思う。

それでも、今週に入って側に寄ってくるようになった。
PCに向かう私の横でじっと座ってこちらを見ている。
私の気持ちが少し落ち着いてきているということか。

犬と飼い主はお互いを写す鏡。とても正直にお互いの心を写し出す。
これからこの喪失感をゆっくり一緒に埋めていこう。

小さかった日生は、いつのまにか月見がウチへ来た時の年齢になった。
月見は2年かけて、日生にバトンタッチしたのだ。

2010年6月24日 (木)

6月のこと、、18日

今日で1週間が経った。
まだ1週間しか過ぎていないのに驚く。

こうやって、くらーい記事を書き綴り、周りの人にいっぱい心配をかけ、
読んでくださってる人にも(、、がいればだけど)暗い気分にさせながら、
たくさんの人の好意に甘えて、自分のためだけに書いている。
口に出して言えなくても、こうやって書いていると少し気分が落ち着く気がする。

頑張って無理はしない。
この想い、いつか空に昇るまで。

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18日。

午後に月見を送り出すことにした。

死んでしまうとどうなるのか知らない。
わかっているのは、もう会えなくなるということ。
どこか遠くで暮らしているというのなら、
別れにも、またいつか会えるという希望は残る。
死んでしまうと目の前の姿が無くなってしまい、
2度と触れることができなくなるということか。

そう思い、何度も何度もなでた。きりが無いことはわかっていたけど。

月見が大好きだったこの家から、その身体を運びだすのは今まで以上につらかった。
私達が霊園に行ってる間、日生はよく知っている犬友達が預かってくれた。
その家も6ヶ月前に2頭のうちの1頭を亡くしている。
お兄ちゃん犬といればひとりで不安になることもないだろう。

時間はあったので、途中、月見がよく散歩に歩いた場所を車で回ってから霊園に行った。

地方によって違いがあるらしいが、このあたりではペットの葬儀も人間と同じような儀式をするみたいだ。
でも、うちは無宗教だし、お線香のにおいも、お経も、菊の花の香りも私はとても苦手だ。
実家の父の月命日でお坊さんを見た月見が驚いていたのも覚えている。
(黒い大きな服を着た男の人が来て、なにやら大声で歌っている様子に目を丸く?していた)
なので、そういった宗教儀式はやらないでもらった。

ただ、お棺に納めて、頂いたお花で埋め尽くす。
大きくてすごく豪華な芍薬のブーケを置いたら、大きすぎてふたが閉まらないほどだった。
少しかき分けて月見の白い胸元に埋めた。


フードとオヤツ、紙袋にこっそりカツオのタタキとロールケーキとおにぎりを入れて持たせる。お散歩用のチョークも忘れずに。

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そして、寂しくないように、私達、家族の写真をたくさん入れた。

メッセージには、2号は「ありがとう」、私は「また、会おうね」と書いた。

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お別れをして数時間後、
いくじなしの私は、その後を見ることができず、
つらいなら見なくていいよと2号が骨上げをひとりでしてくれた。
どうしても見ることができなかった。

建物の外で待っている私のところに月見は帰ってきた。
初めて会った時、すでに成犬の大きさだったため抱っこしたことがなかったけど、
腕の中に入る大きさになった月見を抱きしめて家に帰った。

私の胸や手には芍薬のブーケのバラのような香りが、
そして私の記憶の中には、フサフサの手触りと気持ち良さそうに眠っている月見だけが残った。

また、会おうね。

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そして、日生を迎えに行って抱きしめた。

6月のこと、、17日の午後。

どれぐらいの時間がたったのかは覚えていない。

2号は週末を待たずに今すぐ帰阪すると言う。
とりあえず犬友達のひとりに連絡すると、今日は暑いからすぐに保冷剤を持ってくれると言った。



それから、私は月見にブラシをかけ、延びかけていたヒゲを少し切って、顔を拭いてあげた。
古い毛が抜け落ちフルコートの月見。
あれほど何年も悩まされた皮膚炎も姿を消して、もう生えてこないと諦めていたしっぽまでフサフサ、つやつや。。。
ずっと雨だったのに脚まで真っ白なのはどういうことだろう。

そんな私を日生は横に座ってじっと見ていた。

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横になっている姿は、あまりに穏やかな表情で、
このところ寝ている時間が長かったから何の違和感もない。

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そのうち実家の母と妹が訪れ、
(2号は)「なんて言って会社を休んだのかしらと?」母が言うので、
「妻がぎっくり腰になった、、、かなんか言うたんちゃう?」って話してた。

昼過ぎに2号が戻ってきたので聞くと、
「犬が死んだから帰る」と言い残し、新幹線に飛び乗ったらしい。

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それから夜にかけて、
月見は近所でも古株だったので、たくさんの犬友達がお別れを言いに訪れてくれた。
頂いたお花はこの倍以上。遠いところからは花籠がどんどん届けられた。

みなさん、ほんとうにありがとう。
なんて幸せな月見。なんて幸せな私達。

はじめはたくさんのお客さんにはしゃいでいた日生も、
みんなが月見にお別れを言う様子を見て段々静かになっていった。
どうして姉ちゃんは起きてこないのか?
時折、口元をなめてみたりしてたが息をしていないことに気づいただろうか?
そのうち横になって眠ってしまう。
夜になっても日生はずっとそうしていた。

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これまでもずっと、2Fの寝室の吹き抜けからはリビングで寝ている月見が見えてた。
風が通るので夏場はここがお気に入りだった。
私達が2Fに上がる時には、「おやすみ、また明日ね」と頭をなでて、
そうやって何千回も言ってきたのに、
この夜が最後になると思うと、とても悲しかった。

でも、このところあまり寝れてなかったから、ほっとしてるかな?
今夜はゆっくり眠れるにちがいない。
「おやすみ、月見、また明日」

2010年6月23日 (水)

6月17日(木)のこと。

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AM9:00

命には限りがあると誰もが知っている。
若い頃は死は遠いところにあるが、
歳を重ねるごとにその存在を近くに感じるようになる。

それは出会ったときからの砂時計で、
与えられた時間をどう生きるかが大事なのだと、、、
残していくのではなく見送ることができるのは幸せなことだと、みんなそう考えている。
12年という寿命はたぶん短くはないのだろうとも、、、思う。

私は、避けられないこの日がいつ来るのか、ずっと恐れていた。
月見を失うことが怖かった。

いつから?

2年前から。



6月17日


夜は横になると息苦しいのかすぐに身体を起こそうとする。
身体を支えるためクッションをたくさん置いた。

それでも、夜はしんどそうにしていても、午前中は楽そうに寝ていることが多かった。
なので、明るい朝が来たのはうれしかった。

この日は晴れ。日中は暑くなるとテレビがが言っていた。

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AM 6:21

月見は普段からほとんど吠えない。吠えて何かを要求することがない。

でも、部屋の片付けをしていると、月見が呼んだ。
見てみると、立ち上がろうとするそぶりをしている。オシッコをしたみたいだ。
「ここでしてもいいんよ」とシートを取り替えて綺麗にしてあげると、
安心したかの様に横になる。

日生に朝ごはんを食べさせ、歯を磨きに2Fの洗面所にいると、
またも月見が小さく呼ぶので、歯ブラシを口に入れたまま降りてきた。
が、特に何をしたいわけではないらしい。

トイレにいると、またも月見が一声呼ぶ。何がしたいのかよくわからない。

朝の薬と水を飲ませた。
今のうちに日生の散歩行こう。
見れば、日生は
「月見姉ちゃん、おはよう」と口周りをなめていつもの朝の挨拶をしている。
日生も、ここ2日は何かが違うと感じているようで、とてもおとなしい。

すると、月見が日生にワン!ワン!ワン!ワン!ワン!と。
多分5回ぐらい吠えた。
日生は吠えられたことに驚いて月見の横に立っていた。

さらに、5回ぐらい吠え続けるので、
「日生、散歩にいこう。庭に出とき。」と出したら、吠えるのをやめた。

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散歩に行く用意をしていると、またも月見が一声鳴くので、

「じゃあ、散歩は行かへん」と言ったら、それきり黙った。

AM7:30
丁度、東京にいる2号からメールが来ていたので、
側に立ったまま横目で見ながら電話をかけて月見の話をした。

あまり薬の効果は感じられないこと、
夜はしんどそうだったが、朝になって少し落ち着いてきた気がするとか、
金曜日にはこちらへ帰ってくるという話を数分。

座ってこちらを見上げていた月見の頭が、ゆっくり、ゆっくり傾いていくのが見えた。

「あかん!待って」電話を放り出し、月見の頭を抱き上げたけど
息をしていなかった。

呼吸!と思い、マズルをふさいで喉を上げて息を吹き込む。
以前読んだ犬への人工呼吸法。
2回、3回、4回、5回、、

「月見、まだいったらあかん、帰って来て」って叫んだと思う。

肺が動いた気がした。
でも、抱き上げた身体はそのまま私の腕の中で崩れ落ちた。

電話はつながったままになってたので、2号にも様子は伝わっていた。
Skypeをつけて欲しいと2号が言ったのでPCを立ち上げた。

そこからのことは、詳しく覚えていない。
眠っているような月見の顔を見て二人で泣いた。
私達の黒い毛の天使はいってしまった。


いっぱい。いっぱい、大声で泣いた。

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他の人が来る前に、
月見姉ちゃんに、ちゃんとお別れを言えるよう日生を部屋に入れた。
庭にいても窓が開いてたから日生には聞こえていただろう。
かわいそうに、少しおびえた目をしていた。

日生に吠えたのは、「日生は外へ出てなさい」って言ってたん?

今朝は散歩に行かないでここにいて、、って何度も呼んだんか?

私と話す2号の声を電話からもれ聞いて安心した?

「私のいない時に、1人でいかないで」、、、という願いを、きいてくれたんやね。

最後の最後まで、かしこい子。

でも、今日が「その日」やったんやね。
もう少し一緒にいたかった。

2010年6月22日 (火)

6月のこと、、3つめの続き

愛する者の死について、私に限らず、
どんなにしても、十分手を尽くした、、と思えることはない。
何をしても、しなくても、その選択に後悔しないことはない。

15日(火)

この日は、、確か雨だったと思う。
朝もトイレを庭でした後、家の東側に歩いていってそこで座り込んでしまった。

自力では立てないので、トイレに行きたい時はワンと一声鳴いて知らせる。
夕方になると月見はお外にトイレに行くとまた主張した。
信じられないが、散歩バックを出したら目が輝いた。

階段はほとんど吊り上げるようにして降ろす。
そうしたら、フラフラしながらも自分で片道50mほどの公園に歩いて行き、ウンチをした。
血便だけど。

雨の中私も濡れながら歩く。
いつ座り込むかわからないので傘などはさせない。常に両手を空けておかなければいけない。

マーキングチェックにうろうろしたがるが、やはり歯茎が白くなってきたので帰ろうと促す。
小雨の中の散歩。他には誰もいない。
いつか、雨上がりをもう一度、こうやって歩くことができるんだろうか、、と
ぼんやり考えながら歩いた。

濡れて風邪を引かないように月見をドライヤーで乾かし終わると、濡れた自分はすっかり冷えていた。

16日(水)

止血剤がなくなったので獣医さんに行った。
念のため自宅で熱を測ったところ39.2度。微熱だけど解熱剤がいるほどではないそうだ。

電話でも話したが、血便と嘔吐があること、食欲がないこと、ハアハアが止まらないこと、を告げる。

投薬で腸が荒れているのだろうということで、
内臓の粘膜を保護する薬をもらい、肺の血管広げる薬も。
それ以外の薬はお休みとなった。

この日新しい薬をもらった。
依然、月見の中で何が起きているのかわかってないので効くかどうかはわからない。
でも、私の心は期待でいっぱいだった。

それは肝臓に負担をかけないけど前よりは少し強いお薬とのこと。
この朝、貧血は少しマシに見えた。 お腹の調子が治って、ハアハアが治まれば、またなにか食べたくなるかもしれない。
帰り道、ウエットフードやワンカロ、そしてやはりカツオのタタキとロールケーキとレバーを買った。とても気温が高くて暑い日だったけど、
あれこれ食べ物を買うのはすごく幸せな気分だった。

家に帰って早速薬を飲まし、ロールケーキを差し出すと小さな2切れを食べた。
夕方からまた貧血っぽくなってきたので、念のため獣医さんに
貧血状態でも薬を与えてよいか確認して投薬した。 9日(水)の夜と同じ状態だ。前回からちょうど1週間。 すごく長い時間が経ったようなきがするけど、まだ1週間だった。

6月のこと、、続きの続き


14日(月)

は朝から軟便だった。
昨日カツオのタタキをあんなに食べるから、、。
2号は月見がおいしそうに食べるのがうれしかったんだと思う。
でも、過去、カツオを食べ過ぎてもお腹を壊すことはなかったのに。

2年前の手術後、体調を崩した時もカツオから始まって食べれるようになって、
体力を回復していった。

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暑くないのに少し口が開いている。ハアハアしているから。

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でも、表情は悪くないように見える。





そうこうしているうちに、下痢になり、それが血便になった。
お腹が痛いのかさっきトイレに立ったと思ったら、またすぐ私を呼ぶ。
ウエットに変えてみたが、腸が動いてつらそうなので今日は絶食か。

ハアハアで体力を消耗している。
食べられなくなるのはよくなかった。









このところ毎日のように獣医さんに電話をしている。
何度ももうしわけないと思いながらも、
原因がわからず薬もあまり効果が見られない気がするなか、
じっと見守るだけしかできないのは不安で息ができなくなる。

土曜の血液検査結果で後日、赤血球が減少しているとわかる。
でも、全く新しい赤血球ができていないわけではないらしい。
なので再生不良性貧血ではないということだ。
どこかにあるのかもしれない出血が止まって、赤血球の再生が間に合ってくれば、
この貧血によるハアハアは収まってくるはず、、。

段々不安に押しつぶされそうになってきた私は、
あれこれ、これまでの10日間を考え始めた。

始まりは、、歩けなくなったことだ、その後のステロイド投与、、。
そして貧血。ハアハアが続く。そして血便。

よかれと思った事はやった。
同時に検査をやりすぎて月見を苦しめないようにも。
でも、もっと早いうちにセカンドオピニオンを取るべきだったか、、とも思う。
そういえば肝臓の数値が悪化してた。投薬のせいだろう。

ステロイドの投与はどうだったんだろう?量は少なくしてもらっているけど、、。

血液に異常がないなら何故貧血が止まらないの?
下痢や嘔吐は薬の副作用?

いや、不安すぎて、投薬が悪かったのかと混乱しているだけだ。


でも、でも、でも、なにもしなくても、ゆっくり脚のリハビリするだけでよかったんじゃないのか?
そもそも元気でニコニコしていてくれたなら、
別に歩けなくても良かったのだ。そうでしょう?

6月のこと 続き

踏ん張れない体重34キロの月見を1人で車に乗せることはかなり難しかったし、
無理してヘルニアをさらに悪くするのが怖かったので、
それまでは私だけが獣医さんへ行って症状の説明をしお薬をもらっていた。

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立ち上がりさえ手伝ってあげれば、水も飲めるし、部屋の中では結構動き回ってもいる。

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このころ、「ホルネル症候群」と思われた右目は完治していた。
1日4回の目薬も差す必要がないほど。
別に、ぼーっとしていることもなく、起きているときは結構元気そうだった。

MRIやCTという検査は、このホルネルの発症時期に選択肢からはずしている。
(治療ではない)全身麻酔による検査がそれだけの意味あるものと思えるようなら話は別だが。

そして、入院も、、おそらく私達は選択しない。
月見は何が自分に起きても、大好きな家で私達と一緒に居たがると思うからだ。



11日(金)

の夜には仕事で東京に行ってた2号が帰ってきたので、
土曜日、二人で月見を獣医さんに連れて行き検査のための血液採取と診察をした。

検査の結果は少し貧血気味だがそれほど悪いものではなかった。
心音も肺の音も、、。歯茎の色さえも回復している。
でも、ハアハアは止まってなかったので、気管拡張剤をもらった。
心臓の弁に問題があるような場合にも効くものらしい。

ハアハアは日中より夜半にひどくなる。
気になるので水、木の2晩はリビングのソファで寝た。
そこから2晩の金、土は2号が交代してくれ、私は自分のベットで寝ることができた。
夜ついていても何かするわけではない、ただ水を飲ませて、
うつらうつらしか眠れない月見に、「ここに居るよ」というだけだ。

13日は岡山で日生の家庭犬訓練審査会がある。
昨年は皆で出かけて、帰りに月見のお里のブリーダーさんへ寄ったのだ。
つい最近まで、今年も4人で行くつもりでだったが片道3時間以上だし天気は大雨の予想らしい。
一時は、受験することをやめようかと思ったこともあったが、
2号に月見についていてくれるというので、日生と私で出かけることにした。

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夕食時にキッチンに集まる二人。
食欲があって、いつもとなんら変わらない月見。
この表情を見る限り大丈夫そう。

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岡山では、日生は無事合格してCDX完成。
帰り道は案の定、渋滞に巻き込まれ下の道を通っても夜7時ごろになった。
でも、2号のメールで月見が機嫌よくしているとわかっていたので、
私は安心して帰ってくることができた。

聞けば、二人で日中はゴロゴロして、月見は好物のカツオのタタキを半身食べたらしい。
さらに夕食後、途中のSAで私が買ったお土産をも平らげた。

もちろん頑張ったのは日生なんだけど、
私達を行かせてくれた月見と2号にとても感謝した。
なんだかとてもうれしくて、私もこの日は夕食以外にもシュークリームとか
たくさん食べた記憶がある。

そして、疲れもあってぐっすり寝てしまった。

6月のこと

あの日からずいぶん時間が過ぎたような気もするし、
まるで昨日のことのような気もする。


おとといの朝方、月見の夢を見た。
庭を歩いている月見が玄関にいる私を見つけてニコニコこちらへ歩いてくる。
後、数歩というところで、身体が崩れ落ち、
あわてて抱き上げたが息をしていなかった。

そこで、目が覚めた私は、「ああ、夢か。夢でよかった」と。
でも、夢ではなかった。月見はもういない。



どこが、この6月の始まりだったのだろう。

5月29日(土)
しばらく全員でお出かけをしていなかったので、この日は4人で出かけることにした。
たしか、私が三田に数分の用事があったので、まずそこまで車で出かけて、
その後西宮インターから中国道に乗り、西宮名塩SAに寄った。最終目的地は宝塚。
この間10キロぐらいのなので高速に乗る必要は全く無い。
でも、高速に乗ってSAで休憩するのが月見は大好きなので、遠出しづらくなった月見のため、よくこういうドライブルートをとる。

SAで私達はたこ焼きを、コリー達にはいなりずし?をあげたような記憶がある。
とてもうれしそうにしていた。高速料金¥400は安いものだ。
大型犬を2頭連れているとすぐに人だかりができる。
はじめは目を引く日生が注目されるが、そのうちにみんな月見をなでたがるようになる。
大きくて、ゆったりしていて、フサフサだからだ。


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そのあと、宝塚で日生はドッグランで遊び、その間2号と月見は木陰で休憩していた。

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暑かったせいか、すこし疲れたような様子を見せたのでこのまま帰るつもりだったが、
月見が隣接の犬同伴可のレストランへ行きたそうにしていたので、
せっかくだからと連れて行った。
ツルツルしたレストランの床では脚元が踏ん張れないような感じだったが、
犬用のランチを奮発してもらって、表情は満足そうにしていた。

しかし、翌日から後脚に力が入らず、どうやら少し麻痺が出ているよう感じが。。。
でも、立たせてしまえば歩けたので、そのうちよくなったらレストランにまた連れて行くつもりだったが、今からすれば、それは2度とかなわぬこととなった。 

日曜日はお庭でバーベキューをした。これもまた久しぶりのこと。
庭の草取りを2号がしてくれたので快適だった。
ピンクのエゴの花が満開だったのを覚えている。

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6月1日(火)

短い距離なら十分歩くことはできたが、麻痺のような動かし方が気になったので獣医さんに電話で相談した。
おそらく、年齢からくる椎間板ヘルニアで神経を圧迫している可能性がある。
あまり痛みを感じていなくても、炎症を抑える薬を与えた方がよいとのことで、お薬をもらいに行った。

人間でいう「ぎっくり腰」なので、数日は安静にして炎症が治まったら、歩く練習をさせると良いとのこと。薬を与えると2日ほどで楽そうになったので、やはりそうだったのかと思った。自力で立ち上がることもできるしトイレもお庭でしてくれるので、お散歩は暫く休みとした。

薬はステロイドなので異常に食欲があるらしく、しきりに食べたがり水を飲む。
でも、体重は増やせないのでいろんな野菜をゆがいてフードをかさ増しするようにした。
表情もいいし元気そうなので、それほど心配はしていなかった。
少しぐらい歩行障害があっても、機嫌よくしていてくれればそれでいい。

6月7日(月)

気分が良さそうだったので1週間の安静を待たず、歩行訓練開始。
今まで朝の散歩は2頭一緒だったが、この日あたりから日生とは完全に別々の散歩となる。時間も暑くならない5時半ごろだ。
携帯電話を絶対忘れてはいけない。
もし途中で動けなくなったら近所の犬友達に連絡して車を出してもらわなくてはならないからだ。そういった友達を近所に何人か持つことは大事なことと思う。
みんな大型犬飼いなので、お互い様という気持ちからどんな時間であっても頼むことができる。

はじめは片道50mの公園へ、そして、200m、500mと伸ばしていった。
少し歩きづらそうにはしているけど、ちゃんと家まで帰ってこれた。

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朝のさわやかな日差しのなか、またこうやって歩けることがとても幸せに思えた。
こうやって少しずつでも歩けるようになって行く。なんの心配もいらない。





なにかがおかしい、、、と思い出したのは、
6月9日(水)。

さほど暑くもないのに、夜、ハアハア息苦しそうにしている。
夜半につれて酷くなり、走った後のような呼吸が続く。
歯茎が真っ白になっていた。ひどい貧血症状だ。

2年ほど前に子宮蓄膿症で手術した後も貧血を起こしていたので、
貧血であることはすぐにわかった。
あまりに症状がきついので、このまま一晩もつのだろうかと私も一晩中寝れずに朝が来た時、月見の少し症状が穏やかになった。
もともと体力がある子なので、なんとかこの夜を乗り切れたようだ。

午前中に獣医さんに尿検査のための尿をもって行き、症状を説明する。
血尿にはなってなかったし、他の数値も特におかしくはなかった。

あと、血便かどうかは微量の場合肉眼ではわからないものだか、どこかに出血があるのかもしれないということで止血剤をもらった。
便の状態も良くて食欲があるので、レバーを食べさせようと帰り道にたくさん買い込む。

その後ハアハアは収まらないものの、この日ほど酷くはなく、歯茎の色も通常に近くなっていった。でも、後脚の筋力は少し弱ってしまったようだった。
フローリングの上では自力で立てない。敷物を引いていても暑がってすぐに床に座りたがる。

外出の最長時間は6時間から4時間に、そしてこの頃は2時間以上はなれることが難しくなっていた。水を飲もうとしても床の上で立てなくて私を呼ぶ。
車をガレージに入れていると月見の吠える声が聞こえあわてて家に駆け上がる。

でも、薬が終われば極端に水を飲みたがることもなくなるので、これは一時的なものだ。
今は歩けなくても大丈夫。私がついているから心配しないで。

お礼

はじめに。

月見と私達へたくさんの方からメッセージやお花を頂戴しました。

月見が10年以上暮らした近所の知り合いだけでなく、
日生つながりの、、月見とはたった一度会っただけという方も、
そして中には一度もお会いする機会なく終わった方からも。。。
本当にありがとうございました。

月見や日生が作ってくれた縁が今の私達を助けてくれています。

ひとりひとりに十分なお礼が言えてないことをお許しくださいね。

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2010年1月3日撮影。綺麗な綺麗な私達の月見。





追記。

この6月に何があったのか、徒然に、この後、書いておこうと思います。
数記事にわたると思いますし、かなり、しめっぽく、ウジウジしたものになるかと。。。

もともと人に面と向かって話すことが苦手な私ですが、
この思い、「独り言」として、自分と月見のために書きたいと思っています。


「ああ、そんなことがあったのか、、」ぐらいに読み流して頂けたらです。
月が変わる頃には、もう少し落ち着いているかと思いますので、
しめっぽいのは苦手よ、と言う方は、またその頃にブログを覗いて見てくださいね。

2010年6月17日 (木)

今朝、7時30分ごろ

今朝、7時30分ごろ、私達の月見が旅立ちました。12歳3ヶ月22日でした。

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可愛い可愛い、私達のトライっ子。

明日、送り出します。お時間あったら夕方の空見てください。

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ご心配くださった方、応援くださった方ありがとうございました。

今は苦しくてこれ以上は書けません。ごめんなさい。

2010年6月14日 (月)

岡山訓練審査会

小雨ではなく、かなりの本降りの13日、行ってきましたCDX2次試験。

隣の岡山県とはいえ、ウチからは片道3時間です。
昨年の試験の時は、月見と2号、4人そろってのお出かけ&月見のお里帰りでしたが、
今年は月見の状態が良くないのと雨ということで、2号に月見を頼んで日生と二人で出かけました。

日生は、みんなでお出かけと思っていたのに、自分ひとりだけだったのがショックだったようでテンションdowndown
道中ずっと耳を倒して後部座席でうつむいて座ったままでした。(私だけではイヤなんかい?)

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雨の審査会は初めてです。
河川敷だったので突風でテントやらがバタバタするし、時折、雨がざーっと吹き付けます。
地面は草地はなのでぬかるんではいませんが、草の間が水浸しで、、。
日生の超怖い「ガサガサ、パカッ」(←雨傘です)、、、も、リングサイドのあちこちにsweat02

こんな感じで不安要素があったんですが、以下、自己採点して見ました。

bell紐無し脚側行進。
日生95点、とてもよくできました。私、80点、不要な声かけが散在しておそらく減点されたでしょう。

bell招呼並びに停止。(招呼中にコマンドでフセをさせます)
日生95点、水の溜まった草地でもちゃんと伏せましたscissors
が、終わりの動作で少し減点。私、90点。

bell平地持来。(私の投げたダンベルを咥えて持ってくる)
日生100点、私、100点。1次試験で減点された課目でしたが今回はhappy01

bell高跳持来。(まず跳んで、帰りはダンベルを咥えて跳んで戻る)
日生95点、私、90点。
ダンベル横のプラスチックコーンに一瞬気を取られた日生の集中を取り戻せました。
そもそも、投げた時にコーンにダンベルを当ててしまったのは私ですが、、。

こちらも1次で減点された課目でしたが今回はhappy01

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bell幅跳び。
過去、100%完璧だったこの課目に、今回落とし穴が、、、crying
日生、60点。私、60点。

この日ずーっとテンション低めの日生を盛り上げようと?大きな声で呼んだ私。
強い調子にビックリしたのか、きゃーsign03幅跳び台を回避しようとしましたよ。

跳ばない事がわかって、「NO!」のコマンド。
板2枚目ぐらいの真横で固まった日生を視符で1m程戻し、跳ばせたのが下の写真です。(ここだけ見るとOKなんですが)

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はじめのコマンドでミスを誘発した私のせいなんですが、
それでも(一瞬終わったかと思いつつも)諦めずリカバリできたので
かろうじてクリア??。

もしも、コマンドが「NO!」でなく「バック! ジャンプ!」と言えてたならば、
止まらず戻って跳んだ??かもしれないんですけど、
瞬時だったのでそこまでの余裕がなかったですね。

(上記2枚の跳んでるお写真はIさんに頂きました。ありがとうございますcatface

bell団体(座れ3分)
bell団体(伏せ5分)

団体を行ったテントの柱に止めてあった、大きな白いビニール袋が風にはためいて、、(笑)
時折日生は「お化けでつ~」と”恐怖の色”を目に浮かべてましたが、
どちらも完璧にできました。good

CDXが始まったのが午後2時。
雨に濡れて寒かったですけど頑張りましたよ。

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今回でCDX完成です。競技会は182点の2席(赤いおりぼん)でした。
うれしいし、なんだかほっとしました。

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ママは並べてみたいらしいでつ。
あと2枚、緑のおりぼん(UD)で、「とらいある ちゃんぴおん」でつって。
ふふ、おいしいでつかね?

(UDは、、、遥かとおーいですねぇ。5歳までに到達できるかなぁ?
もしかしたら、おいしいかもねぇ)


それでもね~。ママは「赤いおりぼん」(2席)がちょっと残念なんて、思っているみたいでつよ。
おバカでつよね。

おバカです(笑)
もし幅跳びを跳ばなければ失格事項だったので綱渡り合格ですものね。
でも、日頃のように跳べてたら、、、、他が良かったので残念ですよ~。

リングには「魔物がいる」ってみんな言ってたでつよ。

そうやね。今回姿をちらっと見たような気がするわ。





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先週中ごろから、脚以外にも調子の悪いところが出てきて片時も目が離せない月見さん。
片道3時間かかる試験場では、今回、受験できないかもと思うときもあったんですが、
2号が月見を見てくれてたので、すごく安心して出かけられました。
感謝、感謝です。

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元気で待っていてくれた月見にもね。

2010年6月 8日 (火)

お散歩ですの

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先月28日ごろから歩行がおかしくなり、
30日(日)には歩くことができなくなってた月見ですが
それ以上悪化することなく、ただ今ゆっくりリハビリ中ですpaper

ご心配くださった方々、本当にありがとうございます。

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後脚の筋力が落ちたと言うよりは少し麻痺があるような感じでした??
歩きにくそうにしていても、以前の関節炎とは違うなぁって。

1日(火)に獣医さんで薬を出してもらい、
しばらくはお散歩も控えて安静に。

その後、幸いにも、
お庭トイレも支え無しでできるようになったし、
立って静止しているときの状態がグラグラせず良くなってきました。


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「しゃがめる」、、、、って
スゴイことなんですよ(笑)

2日以上、うんPが出ませんでしたが、
それも大丈夫になりました。






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あと、寝返り補助も必要だったのか、どうやら自分で変えられるように。

ゆっくりですが、よくなってきたような気が、、、





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早朝のお散歩はやはり気持ち良さそう。



反面、
(おとといまでできていた)床から立ち上がる事が困難に。。。。
暑い時期なので自分で立ってお水が飲めないのは困ったものです。
滑りにくいように敷物を敷き詰めても
暑いからかすぐに床に寝てしまって立てなくてジタバタ。。。うーんweep
やはり目を離す事はできません。


家の中だけを数m歩くだけでしたから、筋力が落ちてるのかなぁ??


というわけで、昨日の月曜から少しだけお散歩に出ることにしました。
(写真はその時のものです)
ちゃんとしたリハビリは獣医さんに相談してからですけどね。

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家から片道50mの公園へ。
こうやってお散歩できるのって、とってもうれしいhappy02happy02happy02

あ、、、でも
玄関から門までの階段は全く降りられず、34キロをほとんど宙釣りですよ。
私の腰が悲鳴をあげてます(涙)


そして、こちらは「つまんないでつ~」状態の日生(笑)

私に相手にしてもらおうと近寄ってきても、月見がいれば
「そこで待って」とか「バーック!」(←バックできます)とかばっかり言われてます。
ちょっとかわいそうです。


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つまらなくて2号の靴にひっついて寝る日生。

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日生、月見姉ちゃんが良くなるよう、おりこうにしてるでつよ。

 

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